8A病棟  Tさん

私が新人でまだ先輩の後をついて回っている頃、胆管癌で胆管炎の度入退院を繰り返していた、Kさんに出会いました。Kさんの第一印象は“気難しそう”でした。入職したての私は点滴の管理不足や頼まれたことを後回しにしてしまうなどし、Kさんを立腹させてしまいました。そのことがあり苦手意識を持っていましたが、先輩は「新人さんはみんな怖がるけど、Kさん本当は優しい人なんだよ。」と言っていました。その時はその言葉が理解できませんでした。ある日Kさんは「もうずっとここの病棟に入院してるからな。ここの看護師はみんな娘みたいなものなんだよ。」と話してくださいました。気難しい・怖いと思っていたKさんが、看護師に対しそのような気持ちで接してくださっていたことを知り、それと共に私のために叱ってくださったことに気付きました。それを機に少しずつKさんのことが理解できるようになり、苦手意識もなくなっていきました。Kさんは「また来るからな。頑張れよ。」と言って退院されました。

言葉通り半年ほど経ちKさんは再入院されました。「前より成長したな。」「今日はお前なら安心だな。」と、受け持つ度に言葉をかけてくださり、いつも私を励ましてくれました。もちろん叱られることもありましたが、私のための言葉だと受け止め、その度自分の考えや姿勢を振り返ることができていました。Kさんは胆管炎を再発する頻度が徐々に多くなり、3ヶ月、1ヶ月と退院から入院までの期間が短くなりました。再入院の度にKさんの容体が悪くなっていることは一目瞭然でした。今回の入院が最後かもしれない、という時がやってきました。脳転移により人格が変わってしまい、以前のように、私を叱ってくれるKさんはいません。もう私が誰なのか、次第には奥様のことも分からなくなっていました。私は次期訪れるKさんの死を受け入れることができませんでした。そんなある日夜勤でKさんを受け持ちました。夜中の巡視時、Kさんの部屋に訪室しお話ししていると突然以前のKさんのような口調になりました。“あれ、以前のKさんみたい。”と思い「私のことわかりますか?」と尋ねると、「Tだろ?分かるよ。」と話されました。もう長くKさんが以前のようにお話しされる姿を見ていなかったので、突然のことで私は驚きました。それと同時に、泣いてはいけないと思いながらも涙が止まりませんでした。Kさんは「もっと叱ってやりたいんだけど、こんなからだになっちまったからなあ。お前は精一杯生きて何十人、何百人の患者さんを救えよ。」と話し、その後すぐまた何も分からないKさんに戻りました。私はKさんと交わした最後の会話で、Kさんの死を受け止める心の準備と看護師として最後までKさんにできることをし、見送る決意をしました。それから何日か経ち、Kさんは亡くなりました。

Kさんが亡くなった今でも、仕事で辛いことがあると私は決まってKさんとの最後の会話を思い出し“頑張らなきゃ。”と気持ちを持ち直すことができています。Kさんの存在はこれから先も私にとって大きな支えです。患者様との出会いの中で成長させられていること、患者様を支えるべき自分自身が、本当は患者様に支えられていることを実感する毎日です。
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